私は昔から腸が弱く、過敏性腸症候群にも長い間悩まされてきました。
ひどいときには、一晩で20回近くトイレへ行ったこともあります。
普段でも症状が出ると、一晩に7回ほどトイレへ。
ところが不思議なことに、次の日になると何事もなかったかのように治まっているのです。
そんなことを何度も繰り返していました。
でも数年前、私はあることに気づきました。
「私って、かなり頑固なのかもしれない」
そして、
「もっと物事を柔軟に受け入れてみよう」
と、自分の考え方を意識して変えるようになりました。
すると、いつの間にか、あれほど繰り返していた過敏性腸症候群の症状や胃痛がほとんどなくなっていたのです。
もちろん、
「頑固だから腸が悪くなる」と言いたいわけではありません。
病気にはさまざまな原因がありますし、身体の不調には医学的な診察や治療が必要です。
でも私は、自分自身の経験から、
身体と脳、そして心は、私たちが思っている以上につながっているのではないか
と感じています。
そして最近、とても面白い言葉に出会いました。
それが、
「心の便秘」 です。
「これ、まさに私やん!」と思いました(笑)
腸が弱いことをスピリチュアルな視点で考えてみる
ここからは医学的な話ではなく、私自身が大切にしているスピリチュアルな捉え方です。
私は身体に不調が出たとき、
「身体は今の私に何を伝えようとしているんだろう?」
と考えることがあります。
私にとって腸は、
- 受け入れる
- 消化する
- 必要なものを吸収する
- 必要のないものを手放す
そんな働きを象徴しているように感じます。
食べたものだって、ずっと身体の中に置いておくわけにはいきません。
必要なものを吸収したら、いらないものは外へ出します。
だったら、心も同じなんじゃない?と思ったのです。
※私は以前、咳が止まらなくなったときにも、身体からのメッセージについて考えたことがあります。
👉 咳が止まらないスピリチュアルな意味・身体からのメッセージに気づいた私の体験
過敏性腸症候群と「頑固だった自分」
以前の私は、
「こうでなければいけない」
という思いが強かったように思います。
自分と違う考え方に出会ったとき、
「なんで?」
「普通はこうするでしょ?」
と、なかなか受け入れられないこともありました。
そんな自分に気づいたとき、
「私はかなり頑固なのかもしれない」
と認めてみました。
そして、少しずつですが、
「そういう考え方もあるんだ」
「私はそう思わないけれど、この人はそう考えるんだね」
と思うように意識しました。
何でも相手に合わせるという意味ではありません。
嫌なものは嫌でいい。
違うと思ったら違うでいい。
ただ、自分の考えだけをギュッと握りしめない。そんな練習を始めました。
気づけば、あれほどひどかった症状がほとんどなくなっていた
考え方を柔軟にすることを意識するようになってから、しばらく経った頃です。
ふと気づきました。
「そういえば最近、あれがない!」
以前なら、症状が出ると一晩に何度もトイレへ行っていました。
通常でも7回ほど。
ひどいときには、一晩で20回近く。
それなのに翌日にはケロッとしている。
そんなことを何度も繰り返していたのに、その症状がほとんどなくなっていたのです。
胃痛も以前ほど起こらなくなりました。
もちろん、これは私自身の体験です。
考え方を変えたことだけが症状改善の原因だったとは断定できません。
でも、
自分の考え方を柔軟にしようと思ったこと。
そして、
長年悩んでいた胃腸の症状がほとんどなくなったこと。
この二つは、どちらも私自身に実際に起こったことです。
だから私は身体に不調が現れたとき、病院へ行くこととは別に、
「今の私の心はどうなってる?」とも考えるようになりました。
医学でも「脳と腸」は関係している
スピリチュアルとは別に、医学には**「脳腸相関」**という考え方があります。
脳と腸はそれぞれ独立しているのではなく、神経やホルモンなどを通じて、お互いに影響し合っています。
緊張すると急にお腹が痛くなる。
大きなストレスが続くと胃腸の調子が悪くなる。
反対に、お腹の調子が悪い日が続くと気分まで落ち込んでしまう。
そんな経験がある人も多いのではないでしょうか。
私は医学的な「脳腸相関」と、私が感じているスピリチュアルな身体からのメッセージを、まったく同じものだとは考えていません。
でも、
「心と身体は別々ではない」ということを考えるきっかけにはなりました。
※私は、身体の不調を「悪いもの」として見るだけではなく、自分を見つめ直すきっかけとして考えることがあります。
👉 体からのメッセージとは?長引く不調をスピリチュアル視点で考える
私がしていた「心の便秘」

そして最近、また気づいたことがあります。
身体の便秘ではなく、
私は「心の便秘」をしていたんじゃないか?
ということです(笑)
嫌なことがある。
腹が立つ。
その場では終わる。
ところが家に帰ってから、
「やっぱり、あの言い方腹立つな!」
またしばらくすると、
「そういえば、前にもあんなことがあった!」
翌日になって、
「考えれば考えるほど、おかしいやん!」
……また食べてる(笑)
一度は消化したはずの出来事を、自分でもう一度引っ張り出しているんです。
これでは、いつまで経っても心から出ていきません。
まさしく、
心の便秘。
手放すことは「我慢すること」ではない
以前の私は、「手放す」ということを少し勘違いしていたのかもしれません。
腹が立っているのに、
「怒ったらダメ」
悲しいのに、
「いつまでも悲しんでいたらダメ」
嫌だったのに、
「こんなことで嫌だと思う私は心が狭い」
そうやって感情に蓋をすることが、手放すことではありません。
腹が立ったなら、
「私は腹が立ってる!」
でいい。
嫌だったなら、
「私は嫌だった!」
でいい。
まずは自分の気持ちを、自分がちゃんと聞いてあげる。
大切なのは、その後なんだと思います。
相手を変えなくても手放すことはできる
嫌なことがあったとき、
「あの人に分からせたい」
「私が正しいことを説明したい」
と思うことがあります。
でも相手が変わるまで待っていたら、いつまで経っても自分の心から出ていきません。
だったら、
「私は嫌だった。それは分かった。じゃあ、これから私はどうする?」
そこまで考えたら、もう十分なのかもしれません。
相手が変わらなくてもいい。
相手に理解してもらわなくてもいい。
相手の考え方は相手のもの。
その人の問題まで、私のお腹の中に入れておく必要はありません。
必要な「気づき」だけ受け取って、あとは出していい
食べ物なら、
食べる
↓
消化する
↓
必要な栄養を吸収する
↓
いらないものを出す
これが自然ですよね。
私は、心も同じように考えることにしました。
嫌な出来事が起きたら、
「私は何が嫌だったんだろう?」
「どうしてこんなに腹が立ったんだろう?」
「この出来事から何に気づいたんだろう?」
「次から私はどうしたい?」
そこまで分かったら、
気づきだけいただきます。
残りは、もういりません(笑)
※「手放す」ということについては、般若心経の意味を改めて知ったときにも、大きな気づきがありました。
👉 般若心経はスピリチュアル?毎日唱えていた私が「執着を手放す」意味に気づいた話
自分と心友になるということ

「自分と心友になる」とは、いつも笑っていることでも、怒らない人になることでもないと思っています。
怒る日もあります。
悲しい日もあります。
「絶対に許せない!」
と思う日だってあります。
そんな自分に、
「そんなことを考えたらダメ」
と言うのではなく、
「そりゃ腹も立つよね」
「嫌だったよね」
と、まず自分の気持ちを聞いてあげる。
そして最後に、
「でも、もうこれは持っていなくてもいいんじゃない?」
と聞いてみる。
それも、自分と心友になることなのだと思います。
あなたも「心の便秘」をしていませんか?
昔の出来事を何度も思い出す。
誰かに言われた言葉が頭から離れない。
終わったことなのに、
「どうしてあの人は!」
と何度も考えてしまう。
そんなときは、もしかすると少しだけ、
心の便秘をしているのかもしれません。
無理やり忘れる必要はありません。
ちゃんと怒っていい。
ちゃんと悲しんでいい。
まずは、自分の中でゆっくり消化する。
そこから必要な気づきを受け取ったら、
もう必要のないものは出してしまおう。
最近の私は、そう思っています。
身体に不調が現れたとき、治療や診察を受けることはもちろん大切です。
でも、それとは別に私は自分自身にも聞いてみます。
「今、何か抱え込んでない?」
「もう手放していいもの、ない?」
身体の声をきっかけに、自分の心とも話をする。
それが私にとっての、
「自分と心友になる」
ということなのかもしれません。
